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2009年3月30日 (月)

幻のラーメンと言われる竹岡式ラーメン『梅乃屋』究極レビュー(6)

コレが幻と言われている『梅乃屋』の「竹岡式ラーメン」だ!

600 『梅乃屋のラーメン』\600

Photo 『梅乃屋の大盛りチャーシューメン+やくみ』\750+50Photo_2
Nikon D300とAF-S  VR DX 18-200mmで撮影

私は、大盛りチャーシュー麺(\750)にプラス\50で薬味である「刻みタマネギ」を追加注文しました。どうですこのボリューム凄いですよね。器から汁がこぼれながらテーブルに出されるのです。私は目の前に出されたチャーシュー麺を見た時に、今まで長い間味わう事無しに過していた年月を思い出していました。

トッピングされいる刻みチタマネギの下にはャーシューが10切れ位は在って、その10枚のチャーシューを食べると更に麺の中から3切れもまたチャーシューが出て来るという凄さでした。たいていのお客さんは普通盛りを注文されても、麺もスープもある程度は残してしまうのですが、私は大盛りの麺もスープも全部食べ尽くしてしまいました。実際のところ大盛りですとかなりの麺の量が在りまして、恐らく普通盛りの2玉分は在ったと思います。

その『梅乃屋』の幻とよばれる「竹岡式ラーメン」の味は?
私の個人的な感想なのですが、以前コチラのラーメンを「某料理界の巨匠」や、「某ラーメン界巨匠」が口にされた時に「驚きの美味さ」であったと、テレビ報道で見たので、それ程に美味いラーメンと期待していましたが、今回実際に私が口にしてみたところ格別な味とは思えませんでした。私は、以前から市原や木更津の土地でこういうラーメンを幾度となく口にしていますが、遠くから訪れた二人の巨匠には、この手のラーメンに新鮮な驚きがあったのかもしれないと思うのです。

世間でよく言われている様に、『体を使った漁師の口に合う、濃い味の中に絶妙の美味さが有るラーメン』と期待していたのですが、始めて口にした富津市佐貫の宮醤油店のタマサ醤油のタレのラーメンは、ウエブでさかんに伝説とまでに言われている様な特徴の在る独特の味では無くて、その土地の醤油ラーメンという感じの味だと思うのです。

もう一つの特徴である乾麺を茹でているのですが、やはり生麺に比べまして茹で上がるまでに時間が掛かりまして、空いた席に座ってからラーメンが出されるまでに15分位は有りました。屈曲麺製法で特許を取得した、千葉県発祥の世界最初の乾麺を開発したと言われる「都一」の乾麺を使用していますが、茹で上がった麺は固い茹で上がりでありまして、食べにくいと思いました。だけれども思いますには、地元千葉県の醤油に乾麺を使用していますからご当地ラーメンと呼ぶには相応しく、そのスープの味と、硬い茹で上がりの麺はノスタルヂックナ感じがして良いと思いました。

よく、「七厘でお湯を沸かして乾麺を茹でる事」が各種ブログでも見受けられまして、その理由は「誰が調理しても湯で上がりが均一に成るのだ」と言われていますが、私が思うには、戦後の竹岡では現在の様に都市ガスが普及している訳ではなくて、ガスが在ってもプロパンガスの供給しかないと思うのです。そして乾麺を大量に茹でるにしても、プロパンガスだとボンベの容量分しかガスが無く途中で無くなる不便が在るから、七輪で炭火を使用する事が便利だったのではと思うのです。

そして最大のセールスポイントであるチャーシューは、流石に惜しげも無い程の量で出されましたし、1枚当たりは大きくて食べ応えがあるのですが、このチャーシューは脂身が多いで、私の好みでは有りませんでしたし、スープも含めて若干豚肉独特の匂いが感じされられました。

総括的な私の個人的な感想は、全体にボリュームは在るのですが、この店独特の美味さとだと思える特別の旨みは感じられませんでした。
珍しいラーメン店として、最近では有名で有りますので、小さなお子様連れのご家族も何組か目にしましたが、大人でも途中で残される方が見受けられますので、お子様の御口には合わない可能性が高いと私は思います。

◎味の評価につきましては、人それぞれであると思いますので、このレビューをお読みに成られて興味が持たれた方がいらっしゃいましたら、是非一度訪れてみて下さい。Photo_3

私は、富山へ行く機会があったら「西町大喜本店の富山ブラック」も是非食べてみたいと思います。そして勿論その時には、フォトグラファー猿さんにお会いしたいですね。『hideは何かと付けて、『富山は良い処 !』と言っておきながら、全く訪れていませんから、フォトグラファー猿さんには、いつも悪いなぁと思っています。』

それと更に耳よりな情報を一つ、この辺りの漁港(金谷・竹岡)には魚が美味いらしいのです。(恥ずかしながら、私は食していないので解りません。)その中には、幻のアジなる「黄金アジ」が水揚げされる事が在りますので、漁師宿や旅館で御賞味下さい。

今回レビューした「梅乃屋」さんと同じ名称のお店が、首都圏内に何店舗かあるそうなのですが、もしかしたら、数年前にhideが地元船橋で食べた系列店なのかも知れませんね。そちらの系列店は、竹岡の「梅乃屋」さんとは別の経営体だと言われています。

私は、この様に評価致しましたが、御当地ラーメンとして全国的に知られている「米沢ラーメン」・「喜多方ラーメン」・「佐野ラーメン」・「尾道ラーメン」みたいに千葉の「竹岡式ラーメン」も地元を代表する全国ブランドとしてとして成長してもらいたいと思っています。この地を訪れた際には、是非御賞味ください。(ペコッ)

----『完』----

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2009年3月26日 (木)

幻のラーメンと言われる竹岡式ラーメン『梅乃屋』究極レビュー(5)

『梅乃屋』を訪れてみました。2008年12月13日(土)

それでは、私が、アレコレ25年間も思いを募らせていた幻の竹岡ラーメン「梅乃屋」さんレビューです。私の住まいである船橋から、ただラーメン食する為に国道357号・14号・127号をひた走る事約2時間掛けてようやく竹岡に在る「梅乃屋」へ訪れました。実は恥ずかしながら、今回が始めての訪問なのです。(現在では館山自動車道が開通していますので、竹岡IC下車です。)Photo

この日は午前8時に船橋を出て10時頃にはJR竹岡駅近くに到着して、目印にしていたあの25年程前のツーリング途中に見かけた「梅乃屋」・「鈴屋」の看板と、頭に在るネットで調べた地図を元にして探したのですが、かっては寂しげだったこの土地も、今ではどこでも見かける街の雰囲気と成っていて、かなかな見つかりませんでした。

とにかく目を皿の様にして現地では、昔見かけた看板を探したのですが、25年も経てば当然無くなっていても可笑しくは有りません。そして遥か先の富浦まで通り過ぎてから、突如通り過ぎた方向の「竹岡IC辺りが、店の所在地だ !」と引き返して、途中の無人駅であるJR竹岡駅で、人に尋ねると「ここから10kmは、千葉よりです。」(実際のお店は2.3km先でした。)と言うテキトーなお返事を頂きまして、それを信じて今度は君津方面へ行き過ぎてしまいました。

また再び行き過ぎた事に気付いて戻ったのですが、店への目印としていた捜すべき「国道から分岐している斜道」には、車が止まっていて、斜道の存在を気付かせ無かったので、またも行き過ぎて竹岡ICまで走ってしまい、もう一度戻ってお店に辿り着くという有様でした。結局、店の前を4回走っての到着と成ったのでした。2

私が到着した午前10時40分頃には、さすが有名店らしく既に先客が大勢いました。車でのお客も多いのですが、ツーリング途中のライダー達が沢山訪れていました。多分、現在のツーリング情報では、こちらのお店はかなり広く知れ渡っていると思えます。薄茶色の三角形に近いお店の中は、広くは無くて肩をくっ付けながら何とか20人程が入れる広さでした。

その店内では、噂通りに女性5人程で七厘で鍋を茹でていました。入りくんだ複雑な座席に座られたお客さんを服装の形や色等で、「赤ジャン・眼鏡」とかで呼称していた事と、チャシューに成る豚ばら肉がビニール包まれたまま幾つも目の前に積まれていた事が特徴的でした。

不思議な事に、この交通が不便な土地にも関わらず午前中の昼飯前だというのに絶えずお客さんの途切れる事は有りませんでした。ライダー達は、竹岡で銘物の『梅乃屋の竹岡式ラーメン』でお腹を満たしてから、南総へのツーリングへ出かけるのが定番らしいですね。特に寒い季節には応えられない味わいが在ると思います。

◎次回へと続く!

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2009年3月23日 (月)

幻のラーメンと言われる竹岡式ラーメン『梅乃屋』究極レビュー(4)

『竹岡ラーメン』と『竹岡式ラーメン』とは違うのか !

今回のテーマは登録商標の事について触れてみたいと思います。

「竹岡ラーメン」という物は、「竹岡ラーメン」のお店のみで出されているラーメンなのであります。これは商標登録されていますから、権利を取得されています経営母体側に法律上権利が在りますので、他の店は「竹岡ラーメン」と名乗って売る事は、法律上の侵害にあたり刑罰の対象と成ります。

それに対しまして「竹岡式ラーメン」とはいかなる物かといいますと、終戦まもない頃の竹岡では、ラーメン店が何件か在ったのだといわれています。弟が1980年頃に職場の先輩から教わった「幻のお店」は、すでに無くなっていたという話しでしたので詳しく調べ様にも残念ながら今現在その先輩とはコンタクトが出来ませんので何の事やら一切解らないので残念です。これこそ『幻のラーメン』と呼ぶに相応しいラーメンだとhideは思います。

とにかく竹岡発祥の御当地ラーメンとは、今日の「梅乃屋」・「鈴屋」さんが出されている形式のラーメンなのです。戦後のある時期は土地の人が只それを『ラーメン』と呼ぶに過ぎなかったので、登録商標を取られた方が、「竹岡ラーメン」として法律上の商標登録を取得なされて、木更津一帯で、ご商売を始められたのだといわれています。
ですから、『竹岡ラーメン』というのは=『登録商標竹岡ラーメン』である訳なのです。

そういう事情が在りますので、この時から昔から竹岡の土地で営まれているラーメン屋さんのラーメンの事を『竹岡式ラーメン』と呼んで区別しているのです。でも聞く処に拠りますと、『登録商標竹岡ラーメン』の商標は、「梅乃屋」さんにお話しをされて取得されたといわれています。Photo

今回を含めて4回と前置きが大変長く成ってしまいましたが、どうしてもこのラーメンのお話しを致すには予備知識の説明が不可欠ですので、この様にいたしております。

私以外の竹岡ラーメンレビューでは、この様に過去30年に渡る実体験を元にして、色々とここまで記載してあるものは現在存在していないと思います。

よいよ次回から本題の『竹岡式ラーメン・梅乃屋』レビューに突入いたします。

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2009年3月17日 (火)

幻のラーメンと言われる竹岡式ラーメン『梅乃屋』究極レビュー(3)

【コレが、私と竹岡のラーメンとの初対面だ!】
竹岡ラーメンとの初対面の時なのですが、例の私のツーリングの5年後にあたる1988年に千葉市の隣の市原市で働いていた弟から、『兄貴、袖ヶ浦市長浦に「竹岡ラーメン」という凄く美味いラーメンが有るから食べに行こうぜ !』という誘い文句を聞いたので、私は思わず「あの竹岡ラーメンか?・普通は木更津で食べる物だぜ、どうしてアレが長浦に在るんだ?」と半信半疑ながらの私は、1杯の「竹岡ラーメン」を食べる為に船橋から車を40km程走らせてJR長浦駅近くの店まで行きました。Photo

今から20年位前ですからその当時この辺りは、昼間でも殆ど人影を見かけない寂しい場所でした。車から降りてみるとそこには小さな飲食店が軒を連ねていまして、その中の1件の看板には、確かに「登録商標竹岡ラーメン」と書いて有りました。あまり繁盛している様には思えないお店でしたが、早速ラーメンを注文してみると出されたラーメンは、確かに醤油ラーメンなのですが、一般的な東京風醤油ラーメンとは違う、ナルトの紅白や、ほうれん草の緑の鮮やかさも無い、スープにしろ、麺にしろ、チャーシューにしても褐色した色のみが目に付く、素朴なチヂレ麺の醤油ラーメンで、大胆にブツ切りされたチャーシューと、メンマと海苔がトッピングされていまして、特徴的なのが、長ネギでは無く、刻みタマネギが添えられていたのです。4

『掲載写真は、長浦の竹岡式ラーメン店のチャーシュー麺』2009年2月撮影・Nikon D300&AF 50mm F1.8D

店の人は、当たり前の様にテーブルの上にラーメンの器を載せたのですが、驚くべき事に、更にもう一つの小さな器が出されたのでした。Photo_2 

チャーハンを頼んではいないのにチャーハンに添えられるスープ器に醤油タレが入っています。私はこの小さな器の意味が解らなかったのですが、弟は手馴れた感じで中のタレをレンゲですくって、見た目にも濃くてショッパそうなラーメンの中へと更に加えて行ったのです。「兄貴、このタレを3杯位加えて食べると美味いんだぜ !」と言うので、私もまだ口にしていなくて味の解らないラーメンの中にそのタレを3杯分加えて行きました。

私は、その醤油辛さが想像も付かなくて、見た目にも鮮やかさが無くて決して美味そうには見えない未知のラーメンを恐る恐る口にしてみました。すると不思議な事に思っていたよりも醤油辛くは無くて、不思議な程に凄く美味しいのです。見た目には、食べ物には相応しく無いドギツイ色なのですが、独特の醤油ダレがマロヤカさを持っていて細い縮れ麺にそのタレが上手く絡んで口に運ばれて行くのです。更に病み付きの美味しさを持っているのが、大胆にも惜しげも無く添えられているチャーシューなのです。チャーシューは、本来は「焼き豚」ですから、こちらの物は「煮込み豚」が正確な表現なのかもしれません。大胆にブツギリされたそのチャーシューは、口に入れると軟らかくトロケてしまうのです。とにかく車を40km走らせて来るだけの事は在ると思える絶品の味でした。(ウマーかったーです。)3

千葉県ではこの様なラーメンを「竹岡式ラーメン」と呼んでいます。(写真はチャーシュー麺でして、タレを加えていますので、前掲載画像とスープの色が違います。)

そのラーメンを食している時に、私は弟から色々と聞きました。
☆何故、お前はこの店を知っているのか?
「俺の職場の先輩がこの辺りの出身で、昔からココで食べていたのさ。」
☆ 確かに初めて食べる美味しいラーメンだね!
「いや、もっと美味しいラーメンが在るみたいなのさ。何でも俺の先輩が言うには、千葉のこの先の漁村の竹岡に、今(1988年)は無いが、かって本当の元祖と言われる竹岡式ラーメンを作っていた店が在って、食べた人から聞くと、とにかく凄く美味いかったらしいんだ。......」

私は、弟から色々と話を聞いて、今ココで食べているラーメンの器を見て、中学生時代から続いていた長い間の謎が解けて来たのです。
それは、この器には明らかに『登録商標竹岡ラーメン』の表記がなされているから、ここで出されているラーメンは間違いなく「竹岡ラーメン」なのですが、とにかく何らかの形で、こういう形式のラーメンの商標登録をしなくては成らない事情がある事は確かなのです。そして、私は古くから木更津で「竹岡ラーメン」の看板を見ていましたが、弟の先輩の話にも在る通りに、長浦をも含めたこの辺り一帯ではこういうラーメンが「竹岡ラーメン」として古くから食べられていたという事実がある事が理解出来ました。

私は、それらの手掛りから色々と考えてみると「竹岡ラーメン」と呼ばれる物は、この時より5年程前にツーリングあの時の竹岡で見た「御当地ラーメン」がどうやら発祥らしいという事でした。私は、ウツロな記憶から竹岡の国道127号で見かけた2店舗程の屋号を呼びお越しました。たしかラーメン屋らしからぬ屋号の「スズヤ」→「鈴屋」と、「ウメノヤ」→「梅乃屋」を見た気がする。あの時寄ってみれば良かったけれど、何だか解らなくて、人気も無くい店に入る気もしないで通り過ぎでしまったあの時の事をかなり悔やんだのでした。

私は、この時の弟との会話(1988年)を機会として、当時千葉県人の極一部しか知らない幻のラーメン店がある事に、興味を持ちました。本当はこの食事中に、こちらのお店で、どんぶりに書かれている登録商標の事を色々と御聞き出来れば、新たなる事実が解ったのでしょうけれど、興味本位で商売裏事情を訪ねるのも失礼にあたりますので、致していませんでした。Photo_4

私は、これを機会としてこちらのお店に、2009年の今でも20年以上に渡り幾度となく通い続けています。その当時は確かに「竹岡ラーメン」をうたっていらっしゃいましたが、現在は別の屋号で営まれています。

でも確かに言える事は、私hideが、最初に「竹岡ラーメン」を口にしたお店であり、作られていた女将さんも昔のままで、作り方も味も変わってはいません。とにかく今は「竹岡ラーメン」では無く、「竹岡式ラーメン」として食されて下さい。場所はJR内房線の長浦駅の駅前通りの商店街にあります。建屋は小さいのですが、お昼時になりますと、流石に混んでますね。中には食べたチャーシューの味を忘れられず、御土産用チャーシューを購入される方もいらっしゃいます。

私はコチラを訪れますと、必ず大盛りチャーシュー麺を注文いたします。だって、ココまで片道車で40kmも来ていますから当然ですね。08年は2度訪れましたが、このあたりも人口が増えたせいか訪れる客数は多くなっています。残念ながら昔の来客がマバラであった頃の方が、味の腰がシッカリとしていて今よりも数段美味かったと思えたし、トッピングされていた薬味の「刻みタマネギ」の量も多くて良かったと思うのです。

今回は、このラーメンの名称が「竹岡ラーメン」と「竹岡式ラーメン」と書かれているので始めて目にされる方は戸惑いを覚えた事だと思います。そこで次回は、この事に触れてみたいと思います。

次回予告:登録商標「竹岡ラーメン」と「竹岡式ラーメン」とは違うのか !

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2009年3月12日 (木)

幻のラーメンと言われる竹岡式ラーメン『梅乃屋』究極レビュー(2)

私が、『竹岡式ラーメン』を口にするまでの30年間について!

【竹岡で、ただラーメンと書いてある看板を見た。】
私は、千葉県に30年程は住んでいますが、今から25年以上前の1983年にバイクを走らせて途中通過した竹岡で、お店の存在を知ったのでした。それは、東京湾沿いの国道127号を走っていると、道端にポッンとただ「ラーメン」と書かれていた各店舗の小さな看板が、所々で目につくので、振り返って見るとそれらの各店舗は、いずれも町の小さな食堂風の建屋でひっそりと営んでいて、道端にお客さんが溢れている気配は全く無くて、そこでとても美味しいラーメンが出されているお店とは思えませんでした。私は大体、何で人通りが少なくてしかも飲食店のメッカでも無いこの漁師町で、ラーメンの宣伝をしているのかが不思議で解りませんでした。

3

その当時の千葉県の首都圏通勤エリアの住人では、この竹岡の土地の情報は殆ど知らなかったはずですから、今でこそ知名度の在る「梅乃屋」・「鈴屋」とて、この土地の間での存在だと思うのです。でも今振り返ると、千葉から館山方面へと走行している時に、各店舗の看板を目にしたのだから、あの当時でも遠くからはるばる訪れる人の為に、あれらの看板が在ったのかもしれないと思えたりもする気持ちは在るのですが。

そのツーリングの時から、現在までの25年の間に私は幾度となく、今年こそは絶対に竹岡の土地に訪れたいと思っていたのですが、何しろこの辺りは、千葉県先端の館山へ行く時位しか通わない処なので、そのままにしていたのでした。(その長い年月の間には、すぐ手前の君津までとか、更に遠くの館山へは何度も訪れてはいたのですが、ウカツにも通り過ぎてばかりいました。そして実は「鈴屋」の建物は何度も見ていましたが、館山まで出かける時には車を飛ばしていますのでいつもそのまま通過でした。)

Photo

【実は、私と竹岡のラーメンの関わりはそれよりも前から在ったのでした。】
話は更に古く成りますが、私のツーリングの在った1983年よりも更に6年前である、1977年位に当時中学生の私は、家の車で木更津に出かけると、「竹岡ラーメン」の看板は目にしていましたから、木更津ではその当時既に知名度が在ったと思うのです。

そして、木更津に近くづくたびにその「竹岡ラーメン」の文字を目にするので、コレ一体何なのだろうかとは思っていましたので、同乗していた「昔から先祖代々に渡って市川市に住んでいる千葉県京葉地区に詳しい人」に聞いても流石に木更津の情報までは答えられ無かったのでした。

とにかく、私と「竹岡のラーメン」についてはこれらの2つの逸話が30年前の中学時代から在ったのですが、その「竹岡のラーメン」との接点が無いままに時が経ってしまいました。

撮影機材:Nikon  D300  &  VR DX 18-200mm

次回予告:【コレが、私と竹岡のラーメンとの初対面だ!】

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2009年3月 6日 (金)

幻のラーメンと言われる竹岡式ラーメン『梅乃屋』究極レビュー(1)

千葉県には、昔から『竹岡式ラーメン』と言う『幻のラーメン』が在ります。房総半島の東京湾沿いにフェリーで有名な金谷港が在りますが、その近くの漁師町「竹岡」が発祥の土地なのでして、その中でも「梅乃家」と「鈴家」が特に有名なのです。2

竹岡式のラーメンの発祥については、特にコレだという説が無くて、あくまでも俗説なのですが、竹岡は漁師町なので、体を使った後には濃い味のラーメンが好まれたからだと言われています。実はこういうエピソードでしたら、各地でも色々と似たラーメンが色々在りますね。私は、テレビや雑誌でしか見たことは有りませんが、富山県の「富山ブラック」なるラーメンもこれに似ていると思いました。600

コレが幻と言われる『梅乃屋』の竹岡式ラーメンだ !

私が千葉県に、住んでから既に30年程経っていますので、昔を思い出せば、竹岡近辺と木更津辺りに数える程しか、竹岡式の流れをくんでいる店舗は有りませんでした。現在では、それらしい流れを持っている様なラーメン店が首都圏内のアチラコチラに見受けられています。例えば一例を挙げるのでしたら、私の地元千葉県船橋市でも一時期「梅乃屋」なるラーメン店が在りましたので、開店当初そちらのラーメンを興味を持って食べてみました。それは「竹岡式ラーメン」に似ている醤油ラーメンだったのですが、私はこのラーメンの良さを感じられなかったのでした。

私が思う「竹岡式ラーメン」の良さというのは、見た目は何ら変哲もない真っ黒で素朴なラーメンなのですが、値段の割には、惜しげも無く凄いと思える程にチャーシューが盛り付されていて、その器を見てしまうと自然と食欲がそそらされて、口にしてみるとその中には絶品の旨さが在って、また食べに来たいと思わせてしまう不思議な魅力があるラーメンなのです。

今では、この「竹岡式ラーメン」と「梅乃屋」の話題は、テレビや雑誌にも取り上げられていますので、ラーメン通の間では当然のごとく知られていますが、それこそ30年位前では、千葉県人でも殆どその存在を知られていない幻のラーメンだったのです。今日の時代の流れでウエブ検索をしてみれば、色々と情報が掲載されていますが、私が思いますには、どれも似たりよったりの感じがするのです。内容的には、ラーメン情報のレビューとしてか、ツーリングの途中でこういうラーメンを食べたか、ここにその噂のお店が在る等の内容が大半であると見受けられるのです。この事は、皆様御自身で50件位ウエブ検索をなされますと大体同じ内容のレビューである事が直ちにお解りに成られると思います。

その様な状況が蔓延していますので、私と致しましては、このラーメンを知ってからの30年に渡る自己体験談交えまして、『他とは違う私だけのレビュー』をこれから数回に渡りまして掲載して行きたいと思いましす。究極のラーメンには究極のレビューです。

『竹岡のラーメン』と言う物は、どの様なラーメンなのか?
現在このラーメンは、「竹岡ラーメン」とか「竹岡式ラーメン」呼ばれていますが、名称の事に付きましては、後程解説致します。
その特徴は、ラーメンの作り方に在りまして、大量の醤油を鍋で火にかけて、ブタバラ肉を煮て、チャーシュー(煮豚)を造り、そのバラ肉の旨みが溶け込んだ醤油をラーメンのタレとして使います。麺は大釜で大量に茹でて湯切りをするタイプでは無くて、基本的には乾麺(店によっては、ちぢれ生麺の場合も在ります。)を一般的なインスタント即席麺と同じ様に、1杯分の小さな鍋で茹でて、そのままドンブリに開けて、お客に出すラーメンなのです。トッピングは、店によって多少は異なるのかも知れませんが基本的には、チャーシューとメンマと刻み玉葱が添えられています。

次回予告:私が、『竹岡式ラーメン』を口にするまでの30年間について!

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2009年2月14日 (土)

フォトコン初応募にて初受賞を達成しました!

『ぎふ観光フォトコンテスト2008』の撮影後日談

このたび『鵜匠と篝火の花』が優秀賞を受賞出来ました事は、非常にありがたい事だと思い喜ぶと同時に(財)岐阜観光コンベンション協会様には感謝致しております。ならびに審査員を務められました小沢忠恭先生には大変感謝致しております。

この受賞作品を撮影した経過は、去年08年7月の馬籠宿から始まる阪急交通社バスツアーの紀行体験を綴った『cameraman_hideのNikon D300撮影レポート 』における『長良川の鵜飼いレビュー』にて08年8月には既に公開していますが、とにかくそのレビューの最終部で、私はフォトコンに応募してみたい気持ちを書いていました。Photo

上は、私自身の「初コンテスト応募の意思」を表した予告画像です。
実は、撮影時にある程度の自信は有ったのでした。
ですから、当初から考えて「鵜飼いレビュー」ではフォトコンに応募するべき秀作画像を掲載してはいなかったので、ブログを御覧された方の中には、「どこがカメラ愛好家と自負している人のブログだ !」と思われていたのかも知れないと思ってはいました。Red

上に掲載した内容をさかのぼる事、7月27日に阪急交通社のバスツアーで10:00に東京を発って「鵜飼い観光」で岐阜県と滋賀県へと訪れたのですが、当初から「鵜飼い」で傑作を撮影したい気持ちはありましたので、出発日の前日の夜にフォトグラファー猿さんのブログに下の様に書き込みをしていました。Photo_2

その書き込みをした翌朝に東京を出発して夕暮れ時の18:20頃に観光バスで長良川の船着場に到着した私は、普段はフォトコンなんて全然興味を持っていないのですが、待合室の中でふと手にした応募用紙を見て、「一丁やってやるか !」と思いながら観光船に乗って、鵜匠が鵜を操って漁をしているのを始めて目にした1時間程の間に撮影した画像を応募したのでした。Photo_3 

よくテレビで普段見掛ける撮影ライトの照明が有る明るい鵜飼い映像とは異なり、観光船から初めて見る完全な暗闇の中で行なわれている鵜飼いで、即興的にカメラ撮影に挑んだその作品が、審査員である超著名な写真家の小沢忠恭氏の目に止まった事に喜びを感じています。撮影時には、「最高賞も夢ではない」と我ながらに既に手応えを感じてはいましたが、このフォトコンに応募しょうと思った最大の理由は、待合室で手にした応募用紙に、以前から尊敬していたモデル撮影で著名な小沢忠恭氏が審査員を務められると知ったからでした。

私はポートレート撮影をしていますが、とにかくあの長良川の鵜飼い撮影は、カメラがかなり優秀に自動化されたとは言へ、自分が今までやって来た経験が無ければ、満足な撮影物は撮れなかったと思うのです。そして、08年鵜飼いレビューであります通りに、『自分流の撮り方で認めて戴く』と掲載しています通りに、私は、この時撮影した画像を日本最高峰の大先生に診ていただきたかったのです。グランプリこそは取れませんでしたが、私は「宣言していた通りに自分の表現」によって優秀賞を受賞出来ました事は、本望が叶えられて最高に幸せな気持ちなのです。

私が今回撮影した『鵜匠と篝火の花』は、鵜匠が篝火を火の子が激しく飛び舞いらせる程に揺らして川面を照らしている姿です。私は鵜船の先端の闇に激しく舞う篝火の花を目にして、鵜匠の魂が高揚して来る程に更に篝火の花を舞い散らせて、熱さをもろともしない真剣な匠の姿に感嘆してしまいました。私がこの作品で訴えたかったのは、この鵜匠の姿をそのままに、伝えたかったので有りました。

このコンテストを過去から集計すると、岐阜市が観光に大変に力を注いでいる「鵜飼い」での画像の応募総数は今まで数え切れない程有った事だと思いますが、その中で私が08年ブログで述べています『新世代の鵜飼い画像』という物が本コンテストにおいて認められた事の証しだと思っています。この画像は、私のテニス撮影とポートレート撮影の経験と最新の世界最高峰とまで言われるNikon D300のCAM3500DXオートフォーカスモジュールの優秀な性能と、超音波モーター駆動レンズと、SB-600のスピードライト調光の組み合わせが無ければ不可能であったと言えると思います。

時間が有るのならば、毎年1年に2週間ぐらい長良川を始めとする岐阜市と岐阜県に訪れて、フォトコン入賞を夢見るのではなくて、純粋に写真撮影をして楽しみたいと思っています。

『写真は、撮影者の数だけ想いと表現があって、撮る者も見る者も楽しみが有る。』と思います。

----『完』-----

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2009年2月 4日 (水)

『ぎふ観光フォトコンテスト2008』からの選考結果が来た !

前回からの続きです。

日光から帰ってきた私は、届けられていた封筒を開けると中から、『ぎふ観光フォトコンテスト2008』からの選考結果の通知書が現れて、私の作品が『優秀賞』を受賞したと書かれて有りました。Dsc_0226_2

私は、今までテニス関係の写真以外は、フォトコンテストに応募した事が無いので、今回初めての一般的なフォトコンへの出品で有りましたが、見事に受賞出来たのでした。
既に、テニス写真関係のフォトコンですと初出品で初受賞それからは常連という実績は有りますが、始めての一般的なフォトコン出品でも初受賞という栄誉を授かるというこの知らせを目にした時には本当に嬉しかったです。happy01

私の受賞作品の題名は『鵜匠と篝火の花』です。

◎展示会が、
2月2日~12日 岐阜市役所本庁舎1F市民ホール
2月23日~3月6日 十六銀行本店ロビー
3月9日~25日 JR岐阜駅2F・岐阜市観光案内所
で閲覧できますので是非御覧下さい。wink

---次回に続く----

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2009年1月24日 (土)

オートサロンの翌週に、冬の日光へ出かけました。(2)

『田母沢御用邸記念公園訪問と、届けられた謎の郵便物』

旅行2日目は、AM10:00から¥500で東武日光駅前からの周遊バスに乗り、田母沢御用邸記念公園を訪れました。明治時代の日光出身の銀行家・小林年保氏の別邸に、赤坂離宮に使われていた旧紀州徳川家の江戸中屋敷の一部分を移築して、明治32年(1899)に皇太子であられた大正天皇の御静の為に造営されたものです。Photo

◎撮影機材 Nikon D300 & MB-D10 ・  DX VR 18-200mm G

大正7年(1918)から大規模な増改築が行われて現在の姿と成りました。この邸宅は、江戸・明治・大正時代の建築が融合しているので非常に珍しくも有もり、そして非常に貴重な建物なのです。Photo_2

御用邸という事で初めて訪問する私達は、恐る恐る辺りを伺いながら入園しました。国道から門を入って邸宅の玄関に近づくと、直ぐに係りの方から丁重な御挨拶を頂いたので驚いてしまいました。邸宅の見学料金は¥500ですが、とにかく立派な和風建築で歴史の重みを感じさせられました。敷地面積は、大正11年時には約10万7000平方メートルだったのですが、現在は約3分の1の約3万平方メートル(9000坪)となっています。

建物の広さは4500平方メートルで、部屋数はなんと106も有りその一つ一つの部屋には御用邸としての役割が全て割り当てられているし、例え極僅かに小さな建具に関しても随所に先人達の和風建築にかける伝統の智恵と、質実ながらの美が注ぎ込まれています。2_2 建物の内部は人の目に接する部分のみならず、天井にしても雨戸にしても銅ふき屋根にしても同様でありました。また数多く在る柱には、惜しげも無く最高の木材と手間が注ぎ込まれていますし、漆塗りにしても同様に最高の技術と手間が注がれていました。2_3

訪れられますとお解りに成られますが、とにかく邸宅は広いのです。その広い邸内の所々では係りの方が、何方へでも非常に詳しく説明されて下さりますので、見学の際には、是非お尋ねなされるのが宜しいかと思いました。ここに訪れると不思議な事に、時間がゆっくり心地良く過ぎて行くのでした。私は時間を忘れるほど縁側に座って居たかったのです。Photo_3

御座所です。3

今回私達が幸運だったのは、通常は非公開部分である「三階御展望室特別公開」が期間限定で催しされていて、その最終日に偶然訪れていたのでした。旧紀州徳川家の江戸中屋敷を明治期に赤坂離宮の花御殿として使われていた部分をここに移築したという事です。3_2 

私達は邸宅拝見の後、少し冬の寒さを感じさせられる広い庭園散策を致しましのですが、邸宅内を移動した距離の方が遥かに長いのではと感じさせられました。Photo_7

また季節を代えてユックリと訪問して静寂した時の流れを味わいたいと思いました。今まで色々な名跡を訪れましたが、この田母沢御用邸記念公園の入園料¥500は本当に対価以上にどの名跡よりも最高に満足させられたものででした。

14:00頃に東武日光駅から乗車して、約3時間30分掛けて自宅最寄駅へと到着しました。
帰宅後、この週末不在であった郵便物の中から、驚くべき封書が表れたのでした。この封筒から、何が出て来たかと思いますか?Photo_5

それは、去年08年7月に『岐阜県の長良川の鵜飼い観光』に訪れた際に、観光船から撮影した写真を応募した『ぎふ観光フォトコンテスト2008』からの選考結果の通知書でした。

---次回に続く----

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2009年1月23日 (金)

オートサロンの翌週に、冬の日光へ出かけました。(1)

私は、1月10(土)と11(日)の2日間に渡って2009東京オートサロンへと出かけた、その翌週の17(土)と18(日)に、知人から持ちかけられていた日光観光へと出かけるというあわただしい2週間でした。

冬の日光は雪道だと想定していたので、私のR33スカイラインは非スノータイヤなので走れませんので、私としては珍しく電車旅行という事で、東武鉄道で出かけてきました。

JR武蔵野線の南流山駅で待ち合わせをして、南越谷駅から東武鉄道の新越谷駅で乗り換えて、日光駅を目指しました。

東武鉄道は関東の各地へと線路が伸びていますので、「浅草発日光行き列車」ではなかった私達一行は、途中3本の列車に乗り継いで到着しました。

お昼過ぎに到着した日光駅で辺りの景色を見ると、暖冬の影響なのか雪が山頂部に僅かに有る程度なのにはビックリしました。こんな事ならば、私のR33スカイラインで来るべきだったと思いました。

私達は、「日光の世界遺産巡り」をする事にしました。観光シーズン週末の日光の車道は渋滞をしていますが、オフシーズンなので驚くべき程にガラガラでありました。Photo

有名な神橋と大谷川です。

◎撮影機材 Nikon D300 & MB-D10 ・  DX VR 18-200mm G 

私達は、金谷ホテル・輪王寺・東照宮・ニ荒山神社の辺りを訪れました。思い出せば、私は過去に何度も日光は訪れていますが、最後に訪れたのは、振り返るともう7年も前の話でした。紅葉も初詣シーズンも過ぎていますので寂しい位にそこは静寂した世界でした。Photo_2

お昼に日光名物の「ゆば会席」を人気のあるお店で食べました。ゆばは、名物という事で何度か食べた事があるのですが、私は味もソッケも無く満足感が得られないので好みでは有りません。後に成って思うと電車からの徒歩移動でしたので、防寒ジャンバーと手荷物がネックと成って、不覚にもお店の画像を撮る余裕が無い事が悔やまれました。

私は日光に訪れたからには、日光金谷ホテル名物のニジマスのソテーを食べれると思いながら冬の日光まで来たのに、同行者が夕食が洋食に成るから和食だと言う事に譲ってしまった事が悔やまれたのでした。(残念です。以前食べたのは20年位前の事でした。)Photo_3

今回の旅行では食べれなかったので、いつの日か食べる時が来たら必ずレビュー致します。

---次回に続く----

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